文明二年(1470年)、長野県北佐久郡立科町(当時は芦田村)に、芦田備前守光徳の嫡子右衛門尉光玄が、父光徳の菩提を弔うために寺を創建し、その名を光徳寺と称した。その後天正18年(1590年徳川家康が江戸城に入城した年)に芦田康寛は徳川家康の信頼厚く、より江戸に近いところへと立科から藤岡に転封された。芦田家の菩提寺であった光徳寺も共に移すこととなり、本堂・庫裡は解体して運ばれ、再び藤岡に建てられた。徳川幕府より御朱印地15石を賜り地方の名刹となる。山内には山門、総門、裏門が建設され、鐘楼堂、鎮守寺の稲荷神社などが回廊で結ばれた素晴らしい伽藍であったという。